不登校から立ち直った中学生の体験談|回復のプロセス

「今の状況から本当に抜け出せるのだろうか」「このままずっと家にいることになるのでは」そんな不安を抱えているあなたやご家族に、希望を届けたいと思います。

今回は、実際に不登校を経験し、現在は高校生活を送っているAさん(現在16歳)の体験談をご紹介します。彼女の歩んできた道のりは、決して平坦ではありませんでしたが、少しずつ前進していく過程には、きっと参考になるヒントがあると思います。

目次

Aさんの不登校体験談|中1の秋から始まった日々

不登校のきっかけ

Aさんが学校に行けなくなったのは、中学1年生の10月でした。小学校では元気に通っていた彼女でしたが、中学校に入学してから徐々に変化が現れました。

「最初は友達関係がうまくいかなくて。クラスになじめなくて、毎日学校に行くのが辛くなりました。朝起きるのも嫌で、お腹が痛くなったり、頭痛がしたり。最初は体調不良だと思っていたんですが、だんだん学校のことを考えるだけで症状が出るようになりました」

お母さんも最初は風邪や疲れだと思っていたそうですが、症状が続くうちに「これは心の問題かもしれない」と気づいたといいます。

最も辛かった時期

不登校が始まった最初の3か月間は、Aさんにとって最も辛い時期でした。

「昼夜逆転になって、家族とも顔を合わせるのが嫌でした。『なんで学校に行けないんだろう』『みんなは普通に学校に行ってるのに』って自分を責めてばかりいました。外に出るのも怖くて、家の中でもずっと部屋にこもっていました」

お母さんも当初は「なんとか学校に行かせなければ」と焦っていたそうです。しかし、無理に学校に行かせようとすればするほど、Aさんの状態は悪化していきました。

回復への転機|小さな変化から始まった

家族の理解と受け入れ

転機となったのは、お母さんがAさんの状況を受け入れ、無理をさせることをやめた時でした。

「お母さんが『今は休む時期なんだね。焦らなくていいよ』って言ってくれた時、すごくホッとしました。それまで『迷惑をかけている』って罪悪感でいっぱいだったんですが、少し楽になりました」

この時期、Aさんの家族は不登校について学び、専門機関にも相談を始めました。「子どもを責めずに見守ること」「小さな変化を認めること」の大切さを知ったといいます。

趣味を通じた自信の回復

家で過ごす時間が長くなったAさんは、以前から興味のあったイラストを描くことに時間を使うようになりました。

「最初は時間つぶしのつもりでしたが、だんだん上達していくのが嬉しくて。SNSに投稿したら、同じ趣味の人たちとつながることができました。『私にもできることがある』って思えるようになったんです」

この経験は、Aさんの自己肯定感を少しずつ回復させる重要な要素となりました。

段階的な学校復帰|無理のないペースで

別室登校から始めた復帰

中学2年生の春、Aさんは週に1回、保健室や別室での登校を始めました。

「いきなり教室に戻るのは無理だったけど、学校の雰囲気に慣れることから始めました。最初は30分だけ、次は1時間だけって、本当に少しずつでした」

学校側も柔軟に対応し、Aさんのペースに合わせて段階的な復帰プランを立ててくれました。担任の先生や養護教諭の先生との信頼関係も、復帰への大きな支えとなりました。

友達との再びのつながり

別室登校を続けるうち、クラスメイトの何人かがAさんを気にかけてくれるようになりました。

「休み時間に様子を見に来てくれる子がいて、最初は緊張したけど、だんだん話せるようになりました。『待ってたよ』って言ってもらえた時は、涙が出そうになりました」

部分的な教室復帰

中学2年生の後半から、Aさんは好きな授業だけ教室で受けるようになりました。

「美術の時間だけは教室に行くようになりました。好きなことだから頑張れたし、作品を褒められたりして自信につながりました。それから少しずつ、他の授業にも参加するようになりました」

現在の状況|高校生活を楽しむまでに

高校受験への挑戦

中学3年生になると、Aさんは高校受験を意識するようになりました。出席日数の関係で選択肢は限られていましたが、自分に合った学校を見つけることができました。

「通信制高校という選択肢があることを知って、『自分にも進学できる道がある』って希望が持てました。入学前はやっぱり不安だったけど、同じような経験をした人もいて、安心できました」

現在の充実した日々

現在高校1年生のAさんは、週に3日登校し、残りの日は自宅やサポート校で学習しています。

「今は自分のペースで学べているので、勉強も楽しいです。イラストのスキルも活かせるデザインの勉強もしています。中学時代は『普通』になれない自分がダメだと思っていたけど、今は自分らしい道があることを知って、未来に希望を持てています」

回復のプロセスで大切だったこと

1. 焦らずに段階的に進むこと

Aさんの回復は決して一直線ではありませんでした。調子の良い日もあれば、後戻りしたような日もありました。しかし、長期的に見ると確実に前進していました。

「『今日はダメだった』って落ち込む日もあったけど、『昨日より少しでも前に進めた』って思える日を大切にしました」

2. 家族のサポートと理解

お母さんの「受け入れる姿勢」は、Aさんの回復に欠かせない要素でした。

「家族が味方でいてくれるって安心感が、一番大きかったです。外の世界が怖くても、家では安心していられる場所があるって大切でした」

3. 小さな成功体験の積み重ね

イラストを通じた自信の回復、別室登校での小さな成功、友達との再びのつながりなど、小さな成功体験の積み重ねが大きな力になりました。

「できないことばかり見ていたけど、できることを見つけて伸ばしていくことで、『自分にも価値がある』って思えるようになりました」

4. 自分なりの道を見つけること

「みんなと同じ」でなくても、自分らしい道があることを知ったことが、Aさんにとって大きな転機となりました。

「普通の高校生活じゃないかもしれないけど、自分には合っています。人それぞれ違う道があるって分かって、気持ちが楽になりました」

最後に|同じ悩みを持つ人へのメッセージ

最後に、Aさんから同じような状況にある人へのメッセージをいただきました。

「今辛い思いをしている人に伝えたいのは、『必ず道はある』ということです。私も絶望的な気持ちになった時期がありました。でも、時間はかかっても、少しずつでも前に進むことはできます。

無理をしないで、自分のペースを大切にしてください。周りと比べる必要はありません。あなたにはあなただけの道があります。家族や信頼できる人に頼ることも大切です。一人で抱え込まないでください。

今は見えないかもしれませんが、未来には希望があります。私がそうだったように、きっとあなたも自分らしい道を見つけることができるはずです」

不登校からの回復は、決して簡単な道のりではありません。しかし、Aさんの体験談が示すように、適切なサポートと時間をかけることで、必ず光明は見えてきます。今苦しい思いをしているあなたも、きっと自分らしい未来を築いていけるはずです。

投稿者

堀内 孝一

1997年代前半に全国の高校中退者が12万人という状況を知り、その時代では唯一無二の教育である全日型通信としてリスタート教育を掲げていたクラーク記念国際高等学校に1997年に入職。西日本地区を中心にリスタート教育を発信し続ける中、2023年に小中学生の不登校34万人以上という状況の中、2024年に「一般社団法人こども教育支援機構」がフリースクール:クラーク国際中等部を設立。初代校長に就任。
居場所作りのスリースクールにプラスして「将来先取り教育」を実行している。

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