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【オンライン授業体験紹介】夢中教室の伴走先生に聞く!自分らしい人生の探し方vol.7 『深く沈むほど、高く跳べる!闇の底で、わたしが見つけた「光」のストーリー』

クラーク国際中等部クラークスマートコースで行われている夢中教室による伴走先生の授業

講義内容:
夢中教室の伴走先生に聞く!自分らしい人生の探し方vol.7
深く沈むほど、高く跳べる!闇の底で、わたしが見つけた「光」のストーリー

「夢中教室」の伴走先生をゲストスピーカーとしてお招きしての特別授業です。

講師:なぎちゃん先生(畔柳 佳奈先生)
【経歴】
幼児保育専攻を卒業し、保育園に勤務。 「子どもたちの育ち」にもっと深く関わりたいという想いから教職大学院へ進学し、保育・幼稚園・小学校の教員免許を取得。その後、学童保育やフリースクールの運営にも携わる。
枠にとらわれない教育の形を求め、1年間休職(または退職)し、北欧へ。現地の小学校や幼稚園を訪問し、教育の多様性を肌で学ぶ。
帰国後、それらの経験の集大成として【子ども大人ホイスコーレ メルケボッテ】を設立。現在は代表として、子どもと大人が「自分らしく学ぶ」場づくりに挑戦している。

畔柳佳奈先生とナギちゃん先生は、現在宮崎県で子ども中心のコミュニティ団体「メルケボッテ」の代表として活動していることを自己紹介し、お話をスタートしました。

クラーク国際中等部クラークスマートコースで行われている夢中教室による伴走先生の授業

ターニングポイント① 学校に行くのがこわい(小学4年冬) 
 その理由は、「学校という場所から自分の意思では外に出られない」と思ってしまったからです。こわくてこわくて仕方がなかったといいます。「いつかは治る」と信じていました。しかし、当時はこのようなケースが学校で前例として扱われておらず、いわば“最先端の不登校児”になってしまいました。小4の終わり頃から中学3年の秋過ぎまで、私は不登校でした。特に中学2年生、14歳の頃が人生で最もつらい時期でした。そこから少しずつ復活し、中学3年生の夏に「高校生になることは、幼稚園の頃からの夢だった」ことを思い出します。そこから5年ぶりに猛勉強を始めました。初めて本気で勉強して中学校のテストを受け、英語のテストはなんと2点でしたが、50点ほど取れた科目もありました。中学3年になって初めて体育祭や合唱コンクールも経験しました。本気で勉強したものの、本気になるのが遅すぎて成績はオール1。さらに出席日数も足りませんでした。

クラーク国際中等部クラークスマートコースで行われている夢中教室による伴走先生の授業

ターニングポイント② 本気の挑戦・敗れる(中学3年生冬)
 結果として、内申点と出席日数が足りず不合格になり、行きたかった高校には進むことができませんでした。その時に私は決めました。「3年後、心から入りたいと思える大学に絶対入学する。」そのためにできる努力はすべてする、と心に誓ったのです。私は高等専修学校に進学し、将来保育士コースに進むために福祉コースを選びました。思いつく限りのことをやろうと決め、毎日学校に行くこと、成績はオール5を取り続けること、副級長になること、生徒会長を務めることなど、自分にやれることを一つずつ積み重ねていきました。正直、最初は学校に行くことさえ、とてもこわかった。「この場所から逃げられない…」という不安もありました。だからこそ、あえて自分に負荷をかけ、入学してすぐに副級長へ立候補しました。後戻りできない状況に身を置くことで、少しだけ自分を支える柱になったのです。心が少しずつ元気になっていたからこそ、その負荷をかけることができたのだと思います。何度もこわいと思いましたが、一個ずつ、一歩ずつ、少しずつ乗り越えていく経験を積む中で、「大丈夫だ、大丈夫だ」と自分で自分に言えるようになっていきました。やっとこわさが消えたのは15歳か16歳の時で、長い年月がかかりました。本当にたくさん努力しました。ボランティア、愛知県知事賞の受賞、塾への通学、生徒会長としての活動…。そして行きたい大学も見つけ、努力を続けました。専修学校での成績は3年間オール5でした。あの3年間は、私の人生で最も努力した時間であり、その頃の自分を今でも誇りに思っています。

ターニングポイント③夢叶う(大学1年生~) 
 苦労して一発で合格した大学での生活は、本当に楽しいものでした。心から「楽しい」「大好き」と思える友達と出会うことができました。幼稚園の頃の夢が服屋さんになることだったので、服屋さんでアルバイトもしました。そして、なんとなく「なりたい」と思っていた保育士という仕事も、いつの間にか「本気で保育士になりたい」という強い気持ちへと変わっていました。まさに夢のように楽しい4年間でした。これも、あの苦しいターニングポイントを乗り越え、必死に努力したからこそ得られた時間だったのだと思います。

クラーク国際中等部クラークスマートコースで行われている夢中教室による伴走先生の授業

ターニングポイント④ なんだってできる!初留学(19歳)
 大学1年生の時、初めてオーストラリア研修に行きました。これまで英語の勉強は半ば捨てて生きてきたようなもので、不安症な性格も全然変わっていませんでした。いろいろ乗り越えてはきたけれど、不安な自分は今でも心の中にいて、この時も同じでした。それでも、勇気を出して行くことにしたのです。現地では、たくさんの“事件”を経験しました。言葉が話せないせいでバスを乗り間違え、運転手さんに自宅まで送ってもらったこともあります。ホストファミリーの家では、セキュリティの警報を鳴らしてしまったこともありました。でも、そんなふうに言語もほとんど通じず、何もわからない社会の中でもなんとか生きていけた。この“はちゃめちゃ”な経験をしたからこそ、私って、もしかしたら何でもできるかもしれないという、謎の自信が湧いてきました。

ターニングポイント⑤理想と現実(22歳)
 社会に出て待っていた現実は、私が思い描いていた理想とはまったく違うものでした。夢だった保育士になったものの、そこで直面したのは想像とは違う厳しい現実でした。その苦しい中で私を支えてくれたのは、中学生の頃の経験でした。「あの5年間の“プロフェッショナル不登校児”としての時期よりはマシかもしれない」——そう思えたのです。不登校だった頃の経験が、ここでも私の心の支えになっていました。そして、私は人生について何度も考えるようになりました。その中で思ったのです。「そうだ。旅に出よう。日本のことをもっと知りたい」と。

クラーク国際中等部クラークスマートコースで行われている夢中教室による伴走先生の授業

ターニングポイント⑥自分の人生創っていこう!(23歳)
 社会に出て悩んだからこそ選んだ旅でした。この旅で、本当にたくさんの素敵な大人に出会えました。「こんなふうになりたい」と思える、心から尊敬できる大人たちとの出会いがたくさんあったのです。日本を一周しながら、各地で働き、多くの人生に触れました。それは同時に、自分の人生について深く考える時間にもなりました。心から尊敬できる保育者に出会い、理想の保育園のあり方にも出会いました。「型にはまらなくてもいい。自分らしい生き方を探していこう」そう強く決めたのも、この旅の中でした。出会いによって人生は変わる——それを心から実感した一年でした。

「闇を見たからこそ光があるんだよ」
そう言われても、当時の私は心の中で叫んでいました。

「出口のないトンネルはないんだよ」
そう言われても、「でも出口が見えないんだよ。いつまでだって見えないんだよ」と思っていました。

だけど今振り返ると、本当に——先の先の先の、さらにその先には、確かに出口がありました

自分の“黒歴史”だと思っていた経験は、実は自分自身を助け、そして誰かを助ける力にもなる。そんなふうに感じられるようになりました。

どんなに大きくて深い“バッドな曲線”でも、いつか必ず“グッドな曲線”へと変わる。今日、少しでも「勇気が出た」と感じてもらえたら、私はとても嬉しいです。

参加した生徒からは、次のような感想が届けられました。
⭐海外の保育と日本の保育は全く違うことがわかりました。
⭐具体的に深く詳しく聞けたので、自分と重ねることができました。ありがとうございました。
⭐黒歴史もいつか誰かを救うための経験になるという話に救われました!この授業を受けれて本当に良かったなと思います。ありがとうございました!
⭐オーストラリアに行きたい気持ちが大きくなりました。ありがとうございました。

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